我が母校とこれからの暮らしの安全
当時、小学四年生の2月に当新田から楢津に緊張しながら引っ越して来たのを覚えてます。その頃、芳明小学校のサッカーフットボールクラブに入り岡山県選抜のGKに選ばれたはいたものの、コッチでサッカーを続けるかどうかは、不明でした。転校という経験が初めてでサッカーを続たい気持ちより、「学校に馴染めるかなぁ」と言う不安な気持ちが強かったからです。迎えた転校初日、挨拶をし授業が終わった休み時間、やはり噂が先行していて、「サッカーめちゃくちゃ凄いんでしょ?一緒にやろうよ。」と言う流れになり、気持ちが学校生活に慣れてないので実力も出せずに、ボロクソにゴールを決められて笑われた記憶があります。当然悔しさもあり悩みもしましたが、両親に心配を掛ける訳にもいかず1人で考えてました。平津小学校にも自分達の1個上の上級生からフットボールクラブが出来て本格的にチームとして他校やクラブチームとの試合をし、楽しくサッカーを続ける事が出来ました。学校の場所としてはホームセンターやビッグ一宮店、ローソン楢津店などが近くにあり、非常に環境的にも整った場所にあります。当時と違い、今はナイターの練習が出来る様に照明が付いていて非常に羨ましい限りですが笑やはり母校というのは、何歳になっても心の中に色んな思い出を色褪せる事なく残り続けるモノですね。今は、物騒な世の中ですが地域の方と協力して子供達が安心して良く学び、良く遊び、良く食べていける様な環境作りを本気で考えて行きたいなぁと思いますが、これから子供達が成長していける環境をもっと大きな力(政府主導)で動かして頂かないと、とても住み良い町にはならないと思います。物価高騰、電気ガス代の爆上がり、税金上昇の傾向がどうしても家庭を苦しめています。子供達が安心して成長していける環境の整備が結局、私達の暮らしや安全にリンクすると考えてますのでどうか、皆んなで助け合っていける世の中で有ります様に。